2008-05-27
-
しかし徐々に目が慣れてくるとその気品あふれるたたずまいに感嘆してしまう。単眼鏡で見ると金がかったアクセサリーもよく見える。如意宝珠のグラデーションも惚れ惚れするくらい美しかったが、自分が一番感心したのは右手の下にかかる透明な羽衣だった。ふわふわとしていそうで、天女の羽衣とはこういうものなのだろうと容易に想像できた。奈良時代にこのような透明感を出せる描画の技術があったことも驚きだ(後世の補筆だったりして)。
第2室は平成館では一番狭い部屋とはいえ、そのすべてがこの吉祥天ひとりのために使われていた。一番奥の本物にたどりつくまでの壁には、大写しになった吉祥天の部分画像や映像があった。大行列になったときの時間つぶしのために設けられたものだろうが、参考になる解説があったりしてよかった。
濃密な、とても心地のよい時間と空間だった。それもこれも人が少なかったからだろうが、もうこれだけで観覧料の元はとれたと感じた。
- 聖観音菩薩立像(国宝)
- 左手を挙げて右手を垂れ、さらには蓮の花も持っていないという、形式的にはイレギュラーな聖観音。そのためか、文化財の登録名称も「観音菩薩立像」となっている。しかし出品目録、会場の標示も「聖観音」と称してはばからず、そのへんの解説もないようだ。
また、製作年代に諸説あって、日光・月光よりも新しいという説もあるのだが、会場の解説は「製作年代には議論があるが」の一言で片付けてしまったうえで、日光・月光よりも古いと言い切っていた。字数が限られるからしかたないのかもしれないけど、決着を見ていない説の一方だけに肩入れするような解説は、一般向けとしてはどうかと思った。
この像はたぶん過去に見たことがあると思うがよく思い出せない。すらっとしたシンメトリックな姿から法隆寺の百済観音を連想した。真横から見た姿も均整がとれていて美しかった。しかし、今回像をひとめ見たときに「これはあまり好きでないなあ」と感じてしまった。なんか顔が好きになれないのだ。微笑んでいるというより、ニヤけているような印象を受けた。
吉祥天とは違って、人が多かったのが印象を悪くしたのかもしれない。狭いスペースで背面を見ようと人々がぐるぐる周りを回っている。葛西臨海公園水族館の回遊魚の水槽を思い出した。
- 日光・月光菩薩像(国宝)
- [LINK] (禺画像])
聖観音からすぐのところに、この展覧会の呼び物となっている日光・月光像が。第4室のほとんどがこの2体のためのスペースとなっている。
この像は薬師寺で何度か見ているのだが、あまり注目して見たことはなかった。しかし今回まじまじと拝んで、確かにすばらしい仏像だと認識をあらたにした。なんといっても、会場の解説にもあったが、肌がすこぶる美しい。1000年以上もお身拭いで磨かれてきたせいもあるかもしれないが、きっと元がいいのだ。しかもこれ、継ぎ足しとかじゃなくて、全体を一度に鋳出しているというのだから、なにしろ相当な技術だと思うのだ。
顔は興福寺の旧山田寺仏頭に似ている。同じ時代の像だからなのだろう。仏頭は男のように見えるけど、日光・月光はより中性的に見える。
ところで、展示方法の目玉として、3mもある仏像をひな壇の高いところから見られるということが喧伝されている。しかしこれがどうにも美しくない。下から見上げられることを想定して造形されたであろう像を上から見るのだから、まあ当然だ。腰のくびれはこの高さからはびっくりするくらいよくわかるのだが、それだけだ。そうだ、きっとこのひな壇は混雑対策に違いない。「普段は見られない位置から拝めます!」とか書いときゃ皆ありがたがるという作戦なのだ。と、生来のアマノジャクが頭をもたげるのだった。
- 塑像残欠
セ記事を書く