東京裁判(上・下)(中公新書)
2006-12-02


ファミリー劇場で再放送中の'84年の大河ドラマ「山河燃ゆ」は終盤にさしかかり、いよいよ東京裁判が始まった。で、思ったのは「自分は東京裁判のことを知らなすぎる」ということだった。清瀬弁護人が裁判長に動議をするも、それにどんな意味があるのか。「これは FBI のやりかただ!」とか言ってても、何が『FBI的』なのか。佐藤慶の演じる田中隆吉がなんだか意味ありげだが、どんな人物なのか。どれもこれもさっぱりわからない。
そんな単純な動機から読みはじめたのだが、なんとか放送終了前に読み終えることができ、予備知識を得たことで、ドラマの今後の展開がますます楽しみになってきた。


著者は「あとがき」で公判記録と書証を主にして、あたかも判事の一人がおこなうのと同じように裁判を見渡す形となったと述べているが、実際にそんな印象を受けた。検事・弁護のどちらの側にも立つことなく出来事を端的に述べている。
奇をてらうことなくきちんと時系列に沿った叙述はオーソドックスな歴史書として非常にわかりやすいし、東京裁判でなにが行われたのか裏工作も含めて記されているのはドキュメンタリーとしてもとても面白いし、巣鴨プリズンでの獄中生活の描写なんかは物語的な興味もあるしで(自殺防止のための毎日の所持品検査が肛門にまで及んでいたとは!!)、自分のような、東京裁判についてまったく知識のない人間の入門としては最適だと思った。終盤、判決から死刑執行に至るあたりでは読んでいてさすがに気分が重苦しくなったが、それでも、ごく控えめに言って、とてもおもしろかった。

ちゃんと『FBI的』な方法についても書かれていてちょっと感動した。「山河燃ゆ」(二つの祖国)の原作者の山崎豊子もこの本を読んだに違いない。というよりも、取材先が同じなのだろう。
清瀬弁護人の忌避動議も田中隆吉の登場も、この本の(というより東京裁判じたいの)ヤマ場のひとつとなっていて、よく理解できた。

やはりまったく知らなかったのだが、東京裁判は自分の生まれ育った横浜にも縁があった。戦犯として逮捕された人たちは、巣鴨にうつる前は横浜刑務所におり、A級戦犯のうち死刑になった7人は久保山火葬場で荼毘に付された。
久保山は実家のわりと近くだし、興福寺なんてずいぶん懐かしい。子どもの頃はあのへんで遊んだりしたもんだ。・・・と思ったがなんか違和感がある。そうだ、「こうふくじ」って、「興福寺」じゃなくて「洪福寺」じゃん。これは著者の間違いだろう。

とにかく、久々に、おもしろい本を読んだときの喜びを感じた。どっしりとした、読み応えのある本だった。
自分が学生だった20年ほど前は、新書といえば岩波・中公・講談社くらいしかなかった。それが何時の間にやら各出版社から新書が乱発行されるようになり、つまらない本が増殖してきた。新書が対象にするようなネタはもう尽きてしまっているのかもしれない。この本は1971年初刷で、2006年で37刷と長きに渡って読まれている。これだけ読み継がれてきたのはやはり理由があるのだと思った。

(児島襄著・1971年)(2006年12月1日読了)
[本]

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