小林清親展
2015-04-12


No.112。焼けぼっくいが印象的な作品。まだ煙が立ちこめているようだ。徘徊する人々のシルエットを見て、『裸足のゲン』を思いだしてしまった。そういえば、この作品の日付は16日になってるけど、上述のNo.106と107は26日になってる。
浅草寺雪中
No.147。これまた雪の屋根に輪郭線がない。構図が明治時代の写真に類似するというが、広重『江戸名所 浅草金龍寺境内の図』を見ても、まんま同じ。
薩た之富士
No.156。水彩画のような写生的な1枚。宝永山まできっちり描いてある。
武蔵百景之内 江戸ばしより日本橋の景
No.161。これに限らず、このシリーズは近景のどアップを大胆に配置する構図で、もろ広重。「百景」といいつつ全部で34枚しかなく、不評のためシリーズ中止になったという話。文明開化の時代には古くさいと見られたのではないかという考察があった。
日本名勝図絵
No.175〜。「最後の浮世絵師の最後の揃いもの」というと感慨深いが、やはり明治初期の光線画の方がいいと思った。
相合傘と雷神
No.243。相合傘のカップルを雲の上の雷神が眺めている肉筆画。版画の作品とは雰囲気ががらりと変わって、軽妙洒脱。雷神の顔がだらしなくて、なんだか微笑ましい。
左甚五郎図
No.248。甚五郎が仁王を彫ってたら生命が宿ってしまい、眠りから目覚めた仁王が大欠伸をして甚五郎がびっくりして見上げるという肉筆画。仁王の躍動感と、甚五郎のイナバウアーがいきいきとしていてイイ。
織豊徳三公之図
No.260。「織田が搗き、羽柴がこねし天下餅・・・」という有名な狂歌の魚バージョン。信長が釣って、秀吉が焼いて、家康が笑いながら食っている。この狂歌を魚で表現する例は他にないとか。

2周して1時間半くらいかかった。光線画では静かな画、肉筆は洒落た画といった感じで、いろいろな面も見られてなかなか面白かった。動物画はあまり感心しなかった。風刺画は世相が分からず、なんだかピンと来なかった。
第1章の版画を見ていて、明治の文明開化の雰囲気というか、古いものと新しいものが混在している東京の雰囲気に、ノスタルジーのようなものを感じた。新しいものとして、洋風建築やガス燈がよく描かれているが、ほかに意外なものに電柱があった。今なら多分、電柱や電線が入らないような構図にするんだろうが、清親の画では誇らしげに登場している。

絵ハガキを買おうか図録を買おうかさんざん迷ったが、図録を選択した。これなら見られなかった作品も楽しめるし。
それにしても、美術館の開館30周年記念が小林清親展とは、シブすぎる。今後も、国立や企業系の美術館ではやらないような、シブくてグッとくる企画を期待している次第であります。
[LINK] (禺画像])
(練馬区立美術館・2015年4月5日観覧)


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