シュルレアリスム展 --パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による--
2011-04-12


相変わらずのぐだぐだ感がツボにきているBS日テレの『ぶらぶら美術・博物館』を観たらなかなか面白そうで、シュルレアリスム絵画が好きな自分よりも相棒の方がなぜか乗り気だった展覧会。
晴れの日は鳥見ウォーキングをするので、雨が降ったら観にいこうとか言っていたら4月になってしまった。この日(4月9日)は朝から雨だった。


開場時間をちょっと過ぎた10:15に国立新美術館に到着。地震の影響の自粛ムードのせいか、はたまた荒れ模様の天気のせいか、1階ロビーは閑散としていた。ひょっとして会場の中にはほとんど人がいないんじゃ、とか思ったが、さすがにそんなことはなくて、そこそこの人出だった。
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モティーフについて(ヴィクトル・ブローネル)
No.34。F0程度の小品。目ん玉と鼻がにょいーんと伸びて絵筆になり、キャンバスに絵を描いている、という絵。これを見た客のほとんどがウケていた。ブローネルは上述の『ぶらぶら美術・博物館』の番組内でも大ウケしていた画家だが、期待以上の面白さ。
空気の威信(ヴィクトル・ブローネル)
No.33。「モティーフについて」の隣に展示されていたが、こちらは80号ほどの大きさだ。おぎやはぎだけでなく、誰もが一目見てデ・キリコのパクリと思ってしまうだろう。足をかたどるマッチ棒などのB級感がイイ。そういったパーツのせいだろうか、全体を包み込む、そこはかとなくイケてない感じが堪らない。こんな素晴らしい画家がいたなんて。
甘美な死骸(イヴ・タンギー、ジョアン・ミロほか)
No.36,37,38。元々は言葉遊びで「甘美な死骸」(または「優美なる死骸」)という名称もそれに由来しているのだが、絵画バージョンがあるとは知らなかった。一言で言ってしまえば『笑っていいとも』のかつてのコーナー「画ったい」なのだが、驚いたのは、タンギーらのような一流のゲージツ家たちが描いた作品が、中居画伯の作風にあまりにも似ていることだった。
ああ、そしてここにもブローネルの素描が・・・
光る地虫(ヴィクトル・ブローネル)
No.49。不安に満ち満ちた絵。吸い込まれる顔は楳図かずお的でもある。
欲望の解剖学(ヴィクトル・ブローネル)
No.91。ブローネルの衝撃(または笑撃)は凄まじい。なんか訳のわからない人の絵。腰つきとか、白目の剥き方とか、無茶苦茶な手とか、『「ぷっ」すま』の草g画伯そのまんま。
アレクサンドリアのヘロン(ヴィクトル・ブローネル)
No.119。気がつくとブローネルの作品を探している自分がいる。これは笑いどころのない、静かでちょっぴり幻想的な作品。世紀末の象徴派あたりにありそうな感じ。
仔牛の崇拝(フランシス・ピカビア)
No.128。マントを羽織り堂々とした牛と、その牛に向かって突き上げられた信者の力強い腕。なんとなく滑稽な気がして笑えたが、よくよく考えてみたら製作年の1941-42年のフランスといえばナチス支配下である。
牛の顔はすぐそばに展示してあるアーウィン・ブルーメンフェルドの写真「仮面のセルフ・ポートレート」(No.116)の牛だ。
狼-テーブル(ヴィクトル・ブローネル)
No.132。ブローネル作品はオブジェもなかなかのもの。これは小テーブルを胴体に見立てて、狼の剥製の頭と尻尾と睾丸をくっつけたもの。秀逸なのは、テーブルの左後足がちょこっと曲がっているところで、微笑ましく感じた。
クイーンとともにゲームをするキング(マックス・エルンスト)
No.139。ブロンズ。ハービー・ハンコックの大ヒットアルバム『ヘッド・ハンターズ』のジャケットのあいつに似ている。
パラディスト、あるいはパラディストの主題によるコンポジション(ヴィクトル・ブローネル)

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[美術]

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