糸のみほとけ --国宝 綴織當麻曼荼羅と繍仏
2018-08-07


當麻曼荼羅なんて、非公開で、一生お目にかかることはないだろうとずっと思っていたのだが、稀に展示されることがあることを知ったのはここ数年のこと。じゃあいつかは見られる日が来るのかなあ、とぼんやり思っていたところ、意外に早くその日がやって来た。早割ペア券を買って心待ちにしていた。
それにしても、どういう都合か知らないが、展覧会期間が夏休み期間とは。織物には暑さと湿気がよろしくないんじゃないだろうか、と相棒に言ったら、冷房効いてるから大丈夫なんじゃない、と言う。そらそうだ。


朝6時半の新幹線で新横浜を出て、京都で近鉄特急に乗り換えて、近鉄奈良へ。酷暑の中を10分ほど歩いて博物館に着いたのは9時40分。大混雑だったらどうしよう、と思っていたが、拍子抜けするくらいひっそりとしていた。平日朝の恩恵か、それともさすがに繍仏はマニアック過ぎるのか。
[LINK] (禺画像])
新館のスロープを進み、2階が展覧会場だ。年配の客が多かった。

天寿国繍帳(中宮寺・国宝)
No.3-1。会場に入るとすぐに天寿国繍帳が。京都の国宝展で見たばかりと思ったが、よく考えたらあれからもう8カ月くらい経っている。 壁面の展示ケースではなく、四角柱のケースに展示されていたため、ガラスから作品がそんなに離れていなかったので、京都のときよりも間近に観ることができた。四角柱ケースの他の面には見所の説明パネルが。鎌倉時代の補修より、飛鳥時代のオリジナルの方が色が褪せずにいるのは京都で学んだ。
天寿国繍帳残欠(中宮寺・国宝)
No.3-2。天寿国繍帳の切れ端がたくさん展示されていた。切れ端と言えど色鮮やかなのは、飛鳥時代の織だからなのだろう。
上宮聖徳法王帝説(知恩院・国宝)
No.12。未見の文書なのだが、これがなぜ「糸のみほとけ」展に出るのか。事前に解説本を見てもわからずモヤモヤしていた。正解は、文中に天寿国繍帳に関する記述があるからとのことだった。この文書は聖徳太子に関するもの。天寿国繍帳は聖徳太子を偲んで作られたものなので、なるほどなのだった。
綴織當麻曼荼羅(當麻寺・国宝)
No.30。ふと見上げると、壁面に巨大な茶色い四角が。心の準備ができる前に不意に遭遇してしまった。予想通り、何が描いてあるんだかよく見えない。中央の如来のお顔と、その下部に中品上生とか下品上生とかいう字が見て取れるくらいだった。双眼鏡で見たが、それでもよくわからない。
そもそも綴織とはどういう織なのか。その解説が向かって左にあった。綴織ならではのなめらかな表面のせいで、かつてはこの曼荼羅が織物ではなく絵画なのではないかという論争もあったという。確かに絵のように見えなくもない。何百年も経って傷んで識別が困難だったのだ。でも今の技術で細部を拡大して見ると、菩薩の鼻梁あたりにいかにも織物らしいギザギザが確認できる(写真が展示されている)。で、そのつもりで再び曼荼羅を双眼鏡で見てみる。でも結局、双眼鏡のレベルじゃそこまでわからなかった。
綴織當麻曼荼羅 部分復元模造(川島織物セルコン)
No.31。現代の職人が綴織の技法で當麻曼荼羅の一部を復元。美しい。願わくば全体を、と思ったが、この菩薩頭部だけでも40日かかっており、全体となると8年かかるとか。それを考えると、たった一晩で織り上げた中将姫の技術はまさに神業だ。なお、この製作作業のようす(つまりメイキング映像だ)が映像コーナーで見られた。
刺繍釈迦如来説法図(奈良国立博物館・国宝)
No.41。反対側の隅に、もう一つのお目当ての刺繍釈迦如来説法図があった。こちらは綴織とは違う織の技術(鎖繍とか相良繍とか)が使われていて、立体感があった。後光の色のグラデーションが素晴らしかった。これは見に来た甲斐があるというものだ。

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